みなさんこんにちは。コロナ渦でまん延防止措置は明日で終了するものの、心がすっきりしませんね。今の生活にストレスに感じることはありますが、今の私は見ての通り心も体も元気です。しかし、数年前私は私の人生は終わったと思うほど悲しい出来事を経験し、その出来事以来、堂々と外を歩くことや笑って過ごすことはもう私には許されない事だと思っていました。悲しくて苦しい時間を過ごしていたとき、ととのえ心理学に出会いました。少しずつ少しずつ人の感情の仕組みが分かっていき、そして自分の気持ちが分かっていき、悲しみを乗り越えることができました。今では新鮮な空気が吸えるようになったようなすっきりした気持ちで毎日を過ごしています。これから、私が心理学を学んで変われたことをお話ししたいと思います。
簡単に、私を紹介させていただきます。家族は、夫とこども3人とねこ1匹の6人家族です。職業は助産師をしています。助産師の仕事は主に赤ちゃんが生まれてくるときに、赤ちゃんが生まれてくるのをお手伝いすることです。助産師として職についたその日からお産に関わらせていただき、命のあったかさをこの手に感じ「おめでとうございます」と言えることが嬉しくて楽しくて、誇りに感じながら助産師を続けていました。
いつも通りに仕事をしていました。お腹の中の赤ちゃんの心音、これは赤ちゃんの元気度を知る道しるべにするものなのですが、その心音が思わしくないと他院からお母さんが救急搬送されてこれから来ます、とその日お産係だった私に情報が入りました。お母さんが到着してすぐに赤ちゃんの心音が分かるモニターをお母さんのお腹に装着し、赤ちゃんの元気度を仲間のスタッフや医師と一緒に見ました。赤ちゃんの心音は元気が保たれていると判断されました。お母さんは陣痛が辛い中、生まれてくる赤ちゃんの話をするときは嬉しそうに話をしていました。赤ちゃんの心音はトクトクトクトクと生きている証の音を聴かせてくれていました。一緒に傍にいた旦那さんも、お母さんも赤ちゃんが元気で生まれてくることを信じていました。私も元気で生まれてきてくれるものだと心の底から思っていました。陣痛が来ると赤ちゃんの心音はゆっくりになり辛そうになりましたが、陣痛が治まると心音は元気な状態に戻りました。多くのお産がこのような状態になります。だから、「赤ちゃんも頑張ってるね。〇〇さんも頑張ろうね」と声をかけていました。
赤ちゃんの頭が出てきて、肩が出てきて、全身が出てきて。いつものように手で赤ちゃんのあったかさを感じながら、赤ちゃんが生まれてきてくれるのをお手伝いさせてもらいました。けれど赤ちゃんは泣きません。ぐったりしていました。泣かせるため、息をしてもらうために、赤ちゃんの身体をこすって刺激しました。「ぎゃ」と一声しただけでそれ以降泣きませんでした。
急いで赤ちゃんの救命処置が行われました。心臓マッサージをして、息が自分で出来ていない状態だったので、人工的に空気を送れるように口から管が入りました。赤ちゃんは命を取り留め、心臓は拍動し始めましたが、自分で呼吸ができなかったので人工呼吸器を使いました。どうしてこのような状態で生まれてきたのか、数日後助産師、医師と症例検討しましたが、原因はわかりませんでした。
お母さんのお産後の状態は安定していたので、分娩室から病室へ案内することになりました。顔を合わせることも話すのも怖くて、案内した後、病室から逃げるような気持ちで出てきてしまいました。とんでもないことをしてしまった、赤ちゃんの傍を離れたくない、帰りたくないと思っていましたが、先輩に「とにかく今日は帰りなさい」と更衣室まで連れて行かれ帰宅しました。家に帰ってからも「どうしよう。なんでこんなことになってしまったんだろう。免許剥奪かも。もう助産師ではいられない。時間を戻したい。消えたい」と色々と考えて眠れませんでした。
次の日、仕事に行くのが怖かったけど、私には病院へ行ってちゃんと真正面から見る責任があるんだ、と思い車に乗って職場に向かいました。駐車場に着くと、怖くて怖くてしばらく車から降りられませんでしたが、勇気を出して職場へ行きました。その日はその赤ちゃんの看護をすることが私の担当の仕事でした。赤ちゃんの状態はどんどん悪くなっていっていました。離れたくなかったので、自分の勤務時間が終わっても休憩室にいました。休憩室で、赤ちゃんが亡くなったことを知りました。
赤ちゃんをお見送りする日、仲間のスタッフが「優しい顔してるから会いに行ってあげて」と言ってくれました。けど、私なんかの顔は見たくないんじゃないかと思って、行かないでおこうと思っていましたが、先輩が一緒に行こうと背中を押してくれたので、赤ちゃんとお母さんの部屋へ行きました。赤ちゃんは穏かな顔をしていて、苦しそうじゃなかった事に少しほっとしました。私が部屋を出ていこうとすると、旦那さんが「一緒にお産ありがとうございました」と言ってくれました。びっくりしました。恨まれていると思っていたので。私よりもっともっと辛い旦那さんがどんな気持ちでその言葉を言ったのか。胸が痛くて痛くて、なんて返事をしたらいいか分からず、顔を上げないまま会釈することしかできませんでした。
お母さんと赤ちゃんが退院してからも「私は赤ちゃんの命を奪ってしまった。町でその家族が私を見かけたら、怒りや悲しい気持ちになるに決まってる。私はもう笑ってはいけない。あの時旦那さんは『ありがとう』と言ってくれたけど、時間がたてば、私の事を恨むに違いない。突然包丁を持って病院へきて私を刺しに来るかもしれない。けど私はそうされるだけのことをしてしまった。その時はちゃんと刺されて死んでいこう」などと考えていました。
「仕事に行きたくない、何もしたくない、消えてしまいたい」と思いましたが、私は「十字架を負って生きていかなくてはいけないんだ。休むことは許されない。苦しみながら生き続けなければいけないんだ」と思って辛くて苦しいまま毎日を過ごしていました。この状態だったので、日常生活はボロボロで、家のことは何もやる気が出ない、動けない。家の中は、ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃ。特に、子育ては上手く行っていませんでした。子供の話は聞けていなかったし、イライラを何も悪くない子供たちにぶつけてしまってばかりでした。当時、小学校2年生の天真爛漫という言葉がぴったりな次女は、私がイライラしている時期も、いつも笑って楽しそうに過ごしていたのですが、おねしょが始まりました。自分の事だけで精一杯、子供のおねしょのことをなんとかしてあげよう、なんて余裕はありませんでした。たまたま子供が学校でもらってきたお便りの中に『幸せな子どもに育つ子育てアドバイス』という心理学講演会のチラシを見ました。子供は私の人生に巻き込んではダメだ。と思い講演会に参加することにしました。
その講演で、子供たちへ愛情を伝えなきゃ、私自身が自分を大切にしなきゃ。そんなことに気づき、心理学を学ぶことに決めたのです。
心理学では色々となるほどーと思うことがありましたが、私の辛くて苦しい毎日を変化させてくれたのはまず、人の基本感情。人の基本感情には喜び・苦しみ・悲しみ・不安・怒りがあります。
この時私の感情は3つありました。
苦しみ:期待通りに行かないことが続く時の感情です。【私は、家族と明るく笑って過ごしていきたいという期待を持っていたけど、それはもう許されないと思って自分で蓋をしていました。】
悲しみ:何かを失ってしまいあきらめざるを得ない感情です。【赤ちゃんが亡くなってしまった。もうどうすることもできない。でもあきらめきれない。そう思っていました。】
不安:未来が漠然としていて先の見通しが付かない時の感情です。【赤ちゃんのお父さんが私を刺しに来るかもしれない。ある日突然上司から助産師免許剥奪の話があるかもしれない。そんな恐怖を感じていました。】
こうして自分の感情に気づき、客観的に自分と向き合う事ができました。そしてそれぞれの対処法を学び、自分に当てはめました。
苦しみに対しては、何に期待していたのかまず気づくことが大切です。【実は笑って過ごしたかったんだと気づけことで、自分がした蓋が外れて、少し気持ちが軽くなりました。】
悲しみに対しては、気持ちの整理と日にちが必要となります。【もちろん時間はかかりましたが、赤ちゃんが亡くなってしまったことはもうどうすることもできない。前を向くしかないんだ。と思えました】
不安に対しては、漠然としていることに見通しをつけていく事が必要になります。【刺しに来るかもしれない怖い。免許剥奪かも。】漠然としていた不安は具体的なものになりましたが、不安を拭い去ることはこの時はできませんでした。
この残ったなかなか拭い去れない不安な気持ちを変える事が出来た心理学の考え方は、『転じる』という考え方です。『転じる』とは、事実と解釈を分ける、ひっくり返して考える、悪い所と同時に良い所も見つけるという考え方です。私の場合、悲しかった。苦しかった。この気持ちと出来事に対する考え方を転じました。起こった事実も、この感情も忘れてはいけないこと。このことがあったからこそ、赤ちゃんが生まれるのは当たり前のことじゃない、奇跡の積み重ねなんだ。赤ちゃんも、お母さんも命がけなんだ。きっと赤ちゃんからのメッセージなんじゃないかなと考えられるようになりました。そして、どうしてあの時、私はお母さんの傍にいなかったんだろうと後悔しました。赤ちゃんには医師も看護師もたくさん救命のためついていました。何もできなかったかもしれない。でも、お産のお手伝いをしていた私こそが、お母さんの傍にいて不安な気持ちを受け止められればよかったのに、と後悔しています。だから、この経験をただ泣いて無駄にはしない。活かして、お母さんの心に寄り添う助産師になろうと思うことができました。
そんな助産師になるためにはどうすればいいのか。心音について勉強しよう。妊娠・出産・育児中のお母さんの心理を勉強しよう。こうやって、道筋・見通しが見えてきたことで不安も徐々に解消されていきました。そして、赤ちゃんが亡くなった日は、助産師として私が命について考える日、私の原点となる特別な日になっています。
こうして自分の気持ちと向き合い、前を向くことができるようになったことで、何もやる気が起きなくてボロボロだった日常生活は、少しずつ以前のように家事など出来るように変わってきました。そして、特に上手くいっていなかった子育て。特におねしょ自体について何かしたわけではありません。不思議なことに、私の気持ちが変わっただけで、ピタッと小2の子のおねしょはとまりました。
それに心理学を学び、私の気持ちが立ち直ったなあと感じた後のある時。子供と目を合わせて話していると、話をしてるだけなのに、なんて嬉しそうな顔をするんだ、と嬉しくなったことがあります。ツライ気持ちの中にいた時は、夫や子供たちの目を見て話していなかったことに気づきました。自分自身の気持ちに蓋をして、家族との関係にも壁を作っていたのですね。でもいつの間にか気持ちが楽になっていました。
当初の私は、背中を丸めて存在してはいけない、でも消えることは許されない、と息をひそめるようにして生きていました。時間を戻したい、消えたいと何度も思いましたが、起こってしまった事実は変わりません。これまでのことをなかったことにして、全く別の人生に取り替えて生きる事も出来ません。けれど心理学を学んだことで、起こった事実に対する『考え方』を転じる事が出来ました。赤ちゃん、お母さんの心に寄り添う助産師になろう。お母さんの心理を勉強しよう。とか、家族と目を合わせて会話をすることって自分も心が嬉しくなるな、と、悲しかった出来事が幸せの種に転じたのです。今では背中をぴんっと伸ばして、遠慮なく大きく息を吸うことができます。これまでの経験が私の中に一つ一つ取り込まれていき、私はこれからも、この私のままで続いていきます。